夢が忍者でなにが悪い

物心ついた時の夢は「忍者」

わたしの節分

今週のお題「わたしの節分」


2月の一番最初に来るのはやはり節分ですよね。

私にとって節分とは

ただただ嫌なイメージしか無いです。
しかも忍者を始めてからも苦しめられる事になるとは思わなかったです。
節分には様々なイベントがありますよね。例えば鬼に向けて豆を撒く、豆を歳の数だけ食べる、恵方巻きを食べるなど。
今上げた誰もが思い浮かぶ節分イベントが私が嫌だと思うBest3なのです。

豆を歳の数だけ食べる

これは幼い頃なら特に苦では無い量ですが、根本的に豆が嫌いでした。
口の中がパサパサになってむせる。味もそれほど美味しくない。
何の儀式なんでしょうか?
調べてみたら、節分は昔の大晦日と考えられていたので「次の年も健康で幸せに過ごせますように」と食べたそうです。
何も知らずにただ嫌々豆を食べていましたね。学校では甘く味付けされた豆菓子は歳の数以上に食べていましたが。

恵方巻きを食べる

食べると言えばやはり恵方巻き。これは商売繁盛を願って食べたのが始まりのようですが、我が家は自営業の商売人一家だった為、こればかりは必ずありました。
何が嫌って、太巻きを無言で食べきること。食べきるまで喋るな、絶対完食が条件でした。はじめは意気揚々と食べるのですが、太巻き一本って結構な量ですよね。しかも我が家がいつも食べていた恵方巻きには必ずカンピョウが入っていて、あれがすごく嫌いでした。今は色んな恵方巻きが出ていますが、まず太巻きが苦手でした。
去年は舞台の公演期間だったので演者、スタッフみんなで方角を向いて食べました。頑張りました。

鬼に向けて豆を撒く

幼い頃は一大イベント並に大盛り上がりしていた記憶があります。鬼のお面を付けた先生に向けて普段のお返しだと言わんばかりに正当に豆を投げつける事が出来るのですが、コレが私にとって今でも引きずるトラウマとなったのです。
保育園の時、同じく先生が鬼に扮したのですが、その保育園の鬼は本格的でお面ではなく着ぐるみでした。普通に子供向けの鬼着ぐるみだと思うのですが、覚えている限りでは鬼というか何の芸術作品?というごちゃごちゃした顔。それにただただ追い回されるんです。豆をぶつけても無反応。勝てる気がしない巨大で謎の顔をした着ぐるみ。豆もすぐに無くなり為す術なしな保育園児。他の園児がどうしていたのか知りませんが、私は誰もいない教室に逃げ込んで中から鍵をかけて目と耳を塞いで立てこもりをしていました。心配した先生が鬼の姿をしながら「開けて」とドアを叩くので更に恐怖心が。毎年この行事が嫌いでこの世から無くなれば良いのにと心底思いました。今でも冷ややかな目で見てしまうのもこの思い出のせいですね。

節分でトラウマに

トラウマになったのは着ぐるみ。どんな着ぐるみでも怖いと思うようになりました。子供は着ぐるみが好きだと思って近寄って来ますが、全力で逃げたりにらみつけたりしてましたね。今はそんな事しませんが、着ぐるみを見ると自然と遠回りしたり避けてます。こっちに向かってくる着ぐるみとは目線が合わないように目をそらします。着ぐるみと記念写真を撮る事はないですね。友達や複数人と写真を撮るときは一番遠いポジションで視界に入らない位置を探します。しかし忍者はアクションマンとして扱われる事もあります。アクションマンとして忍者以外のお仕事もしたことあります。その中にはアクションマンとしてよくある着ぐるみの中というお仕事もありました。自分がトラウマの着ぐるみになるんです。大丈夫かと思いながら受けましたが、入ると外側が見えないので全く問題なかったですね。それ以上にすごく人気者になった気になって楽しかったです。中を知ることで少しは誤解を解けたかなと思います。しかしまだ着ぐるみを見ると心臓がバクバク言います。トラウマはそう簡単に克服できないようです。

まとめ

節分は季節の変わり目の前日を示す日。2月は立春。昔から冬から春になる時期を1年の境目とされてきたので立春は新年を迎える事と同じくらい重要視されたようです。なので2月の節分がこのように豆まきや恵方巻きなど、新年の健康、商売、幸せを願う儀式を行う行事となったようです。
それでも私は未だに忘れません。あの鬼たちを・・・。